豊田あおプロフィール

プロフィール

 

はじめまして!豊田あおです。

豊田あおってこんな人です♪

頑固な父と専業主婦の母

1973年愛知県生まれ。

父は公務員、母は専業主婦、弟がひとりいて長女として生まれました。

父は頑固というか昔気質というか、ひねくれ者というか・・・そんな感じの人です。
小さいころ、父から優しくしてもらった記憶は全くないですね。

いつのことだか忘れましたが、どうしても父に『お馬さんごっこ』をしてもらいたかったのに
してもらえず、泣きじゃくっていた記憶があります。

お馬さんごっこくらい、してくれてもよくないですか?(笑)
父はいつも仏頂面で怒っていた、という記憶しかありません。

母は明るかったですが、ネガティブな事実を捻じ曲げてポジティブにしてしまうという傾向がありました。
事実は事実として捉えてほしかった・・・

幼稚園時代の初恋は幼なじみ

私の初恋は幼稚園時代。幼なじみの「まさき君」でした。

幼稚園児ですから、今となっては幼稚園児の初恋って何だろう?って思いますが、
私の記憶にある初恋はこれですね。

『好き』という感情を抱く年齢としては早いほうだったと思います。

私が早熟だったのは、父から優しくしてもらったりスキンシップをしてもらえなかったことが原因ではないかと思っています。

小・中学校時代は転校ばかり

父は転勤族でした。

なので幼稚園・小学校・中学校の間は全国を転校していました。

小学生の頃は友人と離れるのが寂しかったのですが、
中学生になると「転校すればリセットできる」と思うようになりました。

大人になってから転職したり、離婚したり、大学院に急に通ったり、
私のリセット癖はここからきているんだと思います。

また、私が初対面が得意なのは子供の頃の転校が影響していると思います。

中学2年生で初彼氏

私の初恋は幼稚園でしたが、初めて彼氏ができたのは中学二年生でした。

同じクラスの『栄一君』です。

初めてデートしたり、手をつないだりしたのはこの栄一君ですね。

栄一君はユーモアがあって話が面白いところが大好きだったのですが、
全くかっこよくもなく、成績もいまいちでした。

私は中学の時は割と成績が良かったのでクラスで上位10%に入っていたと思いますが、
栄一君はクラスで下位10%内だったと思います。

思春期の恋愛は
・親の影響や家庭環境を反映している
・その後の恋愛傾向へのきっかけになる
という意味でとても重要だと思っています。

そういう意味では、私の初彼氏は父の影響をかなり受けていて
・いつも仏頂面で厳しい父

・とにかくユーモアのある話の面白い男性

が好きだったのだと思います。

そしてしばらくこのダメ男好きは続きます。

高校時代はこじらせの始まり

高校は地元の進学校に進みました。

中学2年生から付き合っていた栄一君は成績がよくなかったので偏差値の低い私立高校に進学しました。

なんだかんだで私は栄一君に依存していて、高校時代も栄一君と付き合っていました。

私は中学時代は成績優秀でしたが、高校になるとさっぱり勉強についていけなくなり、
そのストレスを彼で埋めていたと思います。

そんな感じだったのでますます勉強についていけず、一時は学年458人中455位になったこともあり。アホですね(笑)

そんなこんなでのらりくらりと栄一君と付き合いながら勉強もせず、受験勉強も身に入らなかったのですが、なんとか東京の私立大学に入学できたので上京することにしました。

大学時代は上級生とお付き合いするも・・・

上京すると中学・高校と付き合っていた栄一君とは遠距離になってしまい、当然ですが自然消滅しました。あんなに好きだと思っていたのですが、あっけないですね。

その後、サークルのひとつ先輩の『ゆっくん』とお付き合いすることになります。

彼もとてもユーモアがあり話の面白い人でした。

ゆっくんとは「私が1か月短期留学して帰ってきた際、空港にお迎えに来てくれなかった」
という理由でお別れしました。

子供ですね。ガキですね。

後から考えるとゆっくんは人望もあって友達も多く、
卒業後は有名企業に就職してハイスぺだったと思うのですが、
私がなんとも幼稚だったためにお別れすることになります。

今考えると彼と結婚すべきでした・・・(相手の気持ちは置いといて)

あーしんど。まだ人生半分ですよ。人生の振り返りはしんどいですね。。。

就職後は合コン・パーティー三昧

大学卒業後は電機メーカーに就職しました。

早く結婚して家庭に入りたい、と思っていたので
高スペックの人を探そうと合コン・パーティー三昧でしたね。

仕事は二の次でした。
やることやって定時に帰る、が信条でした。

この信条は結婚してからも変わりませんが…

合コンやパーティーは楽しかったですが、あまり成果につながらず、
結局職場の4歳年上の男性と結婚しました。

29歳の時でした。

未熟な結婚生活

1回目の結婚は、未熟でした。

結婚に夢を抱きすぎましたね。

結婚するとはどういうことか、わかっていなかったと思います。
結婚前にすべき価値観のすり合わせも足りなかった。

私はなるべく質素に暮らしたい派なのですが、彼は豪快にお金を使う。
私は夕食はなるべく一緒に食べたかったのですが、彼は飲みに行ってしまう。
私は休日はゆっくり家で過ごしたい方ですが、彼は友人と遊びに行ってしまう。

そうこうしているうちに夫の浮気疑惑。もう限界でした。

家庭不和ストレス発散のため社会人大学院へ

結婚生活にストレスを感じ始めた頃はとにかく女子会ばかりして気を晴らしていました。

そのうちそれも物足りなくなり、習い事を複数始めます。
料理教室、ワインスクール、ヨガ、etc.
でも満たされない。

この私の計り知れないストレスのはけ口を満たすものは何か?
もっと人生の流れを変えられるようなものはないか?
もっと夢中になれることはないか?

と考えた結果「社会人大学院」が候補に挙がりました。
そしてこっそり受験したら合格したので35歳にして大学院に通うことになりました。

専攻はマーケティング。
私はお金を稼ぐことが好きなので、商品をどうやって売ったらよいのか、の理論を学ぶことはとても楽しかったです。

そうはいっても大学院はマジで大変でした。
前述の通り私はアホなので、教授の言ってることが全く理解できず。
そんな時は年下の新卒の同級生に教えてもらうなどして、なんとか卒業することができました。

大学院には新卒から60歳くらいまで幅広い年齢の方がいましたが、
皆とても頭が良くて、育ちの良い方が多かったように思います。
ここで私はハイスぺ(男女問わず)の生態についても多少理解できたと思います。

また、いろいろあったけど大学院に通うことを許可してくれた夫には大変感謝しています。

40歳で離婚

35歳から2年間大学院に通ってなんとか卒業となったのですが、
その年の3月に東日本大震災が起こりました。

東日本大震災が人生のターニングポイントになった方は多いと思いますが、私もその一人です。

明日死ぬかもしれない。
このままでいいのだろうか?

日本人が皆、そう思ったと思います。
そこでやっと、私は離婚を決意し家を出ました。

そうはいってもすぐには離婚できず、2年かかりました。

改めて、夫には感謝しかありません。

苦しい再婚活の始まり

40歳の誕生日に離婚して、すぐに結婚相談所に登録しましたが、
結論からお話すると本当につらかったです。

結婚相談所、マッチングアプリ、パーティー、友人の紹介、etc.

ちなみに、結婚相談所に掲載していた写真はこちら。

詐欺レベル!!!
お見せできないのが残念ですが、どこかの女子アナかと思うほどの出来栄えでした。

結婚を諦めかけたその時、44歳で再婚&出産

結婚相談所、マッチングアプリ、友人の紹介、どれもうまくいかなかったですね…
私の失敗だらけの婚活については、今後詳しく書いていきたいと思います。

婚活を始めて4年近くたち、もう再婚は無理だなぁと思いました。

そんな矢先に大学院の同級生と久しぶりに再会し、二人で飲むことになり、2回目のデートでプロポーズされます。

「俺たち結婚しない?」

最初は冗談だと思いました(笑)
でも、冗談だとしても彼だったら結婚してもいいな、と思いました。

その旦那様は9歳年下です。
9歳年下って、小柳ルミ子と賢哉君のようでなんだか気持ち悪い印象かもしれませんが、
家庭での立場はいつも対等です。

妊娠がわかったのは結婚を決めてから。

私は当時すでに44歳だったので夫には
「子供はできないと思う。子供がほしかったら20代と結婚した方がいいよ」
と伝えていました。なので、妊娠した時は驚きました。

奇跡としか言いようがありません。

アラフォーの婚活について思うこと

アラフォーに限らずですが、婚活にはまず、自己分析が大切です。

ハイスぺだったらそれでいいのか?
お金があればそれでいいのか?
自分はどんな人といれば心地が良いのか?
自分の許容範囲はどこなのか?

徹底的に分析する必要があります。

アラフォー女子は理想が高い、と言われていますが、それは

自分の市場価値がわかっていない=自己分析が足りない

のだと思います。

そしてこれでもか、というほど自己分析をして、自分をどうやってマーケティングしていくか?
自分の長所を生かし、短所を補いながらどうやって自分を売っていくか?を考えていく。

これが最も大切だと思っています。

 

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